酬恩庵(一休寺)
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拝観時間 9:00-17:00 (宝物殿 9:30-16:30) 拝観料 大人500円(中学生以上) 、小人250円
団体:大人450円(30名様以上) 、団体小人225円
※団体拝観での説明希望は、要事前電話予約。
団体拝観のお問合せ:contact@ikyuji.comTEL 0774-62-0193 住所 〒610-0341 京田辺市薪里ノ内102 公式HP http://www.ikkyuji.org/ アクセス
JR学研都市線(片町線)京田辺駅下車徒歩約15分。近鉄京都線新田辺駅下車徒歩約20分。各駅よりタクシー約5分。
酬恩庵は、禅僧として名高い一休宗純によって1456年に再興されたことにより「一休寺」として広く親しまれています。ここには、一休の木製の仏像が安置してあります。この木像は、一休が亡くなる前年に高弟によって造られ、没後一休の髪を植えたとされています。酬恩庵は、境内の庭園の美しさでも有名で、国指定の名勝とされています。国の重要文化財は10個あり、本堂、方丈、先に触れた「一休和尚坐像」、庫裏、「唐門」、東司などがあります。境内には宝物殿があり、一休の墨跡、天皇が使われた品、宝物などが展示されています。
歴史
寺伝によると、酬恩庵は、1288年から1293年の間に禅の道場として草創されたのが始まりであるとされています。1330年前半の兵火にあい衰退してしまいました。しかし1456年に、禅僧として名高い一休宗純によって再興されました。その後しばらく旅を続け、後に酬恩庵を居とされ、88歳で亡くなるまで晩年を過ごしました。境内に建てられたご廟所(宗純王廟)に埋葬されています。
一休宗純について
1394年京都に生まれた一休は、広く愛されているとんちで、その姿が良く思い出される日本の歴史上の人物です。これらの話の中の一休の一風変わった言動は、実際におどけているのですが、禅宗の教義の精神の表れと考えられています。これらの話は、論理的なことが多い禅の発想を持っているため、思考を凝らす必要があります。
一休は、当時の天皇の落胤と考えられており、6歳の時に寺院に入門しました。詩の才能を開花させ、その作品は現在も大切に保存されています。一休は、有名な高僧のもとで弟子となり禅の修行に励んだものの、公の場以外の禅師としての方がよく知られています。旅人のようにさすらい、そして鋭いとんちで一休は、いたずらばかりするとの評判もありました。現在、日本の多くの子どもたから、国民のヒーローとして慕われています。
酬恩庵 本堂
本堂は、1429年から1441年の間に建てられ、重要文化財に指定されています。当時の将軍の帰依により建立されたと考えられています。山城・大和地方(京都府から奈良県にかけての南部地域)の唐様建築の中で、もっとも古い建造物です。唐様は、切妻と桧皮で覆われた屋根に一番の違いがあります。本堂内部には、酬恩庵一休寺の本尊、木製仏像「釈迦如来坐像」があります。釈迦如来は、仏陀、ガウタマ・シッダールタ、仏教の開祖として知られています。
石庭
酬恩庵一休寺の寺院を囲むように、特に美しい伝統的な日本の禅苑枯山水庭園があります。酬恩庵は、このように四季折々、特に春に咲く木々と秋の紅葉など自然の豊かさを楽しむのに最適です。方丈の側の方丈庭園は、国の名勝に指定されています。方丈庭園の作者については、あまり知られていませんが、江戸時代(1603-1868)の当時の有名な3人の設計者によるものと考えられています。
庭園は、南、北、東と三面にあり、それぞれ違った風情をかもしだしています。北庭は、伝統的な枯山水で、日本神話によると魂が集い、不老不死の仙人(ときには妄想、あるいは「触れることができない幻」と表されます)がいると言われる「蓬莱山」を岩で表現したとされます。北東の隅には、2mの「観音石」を置いています。東庭は、様々の大きさの石で十六羅漢になぞらえたとされます。南庭は、海をイメージして造られ、瑞々しい木々、ツツジ、西側には大きい蘇鉄が植えられ、典型的な禅苑庭園です。方丈庭園は、北から東へそして南へ、蓬莱山から海へ続く道、そして海そのものを表しています。