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大御堂観音寺
寿宝寺
酬恩庵(一休寺)
禅定寺
蟹満寺
神童寺
海住山寺
現光寺
笠置寺
浄瑠璃寺
岩船寺
恭仁京跡
神童寺は、閑静な街にある小さな寺院です。ここは、山岳仏教が栄えた地で、神道と仏教の両方の信仰を合せ持つ山岳信仰であり、修験者集団の勢力と影響力が長く続きました。平安時代(794-1185)には、ここが信仰の聖地であったといわれています。本堂は、国の重要文化財であり、裏手の収蔵庫にも、重要文化財である仏像が多数安置されています。神童寺の境内は、四季を通じて美しく、毎年、9月の第2日曜日に、修行者が熱い木炭の上を歩く神童寺最大の行事、護摩焚きの儀式が行われます。
神童寺の起源については、いろいろな説があり、正確な詳細については不明です。しかし神童寺は、594年から622年の間、日本を統治した、有名な聖徳太子(574-622)によって創建されたと考えられています。聖徳太子はまた初めて、仏教の教えを取り入れた憲法を制定し、仏教を強く支え広めようと努力しました。そして、それらの功績が讃えられ死後に、聖徳太子という名称が贈られました。
675年、神童寺伝説によると、山岳信仰、修験道の開祖とされる役小角が神童寺を訪ね、修行を続けたといわれています。このとき2人の子どもの姿をした神童が役小角の前に現れました。役小角は、その神童に敬意を持ち、日本独自の山岳信仰、修験道の本尊である「蔵王権現」を刻みました。神童寺の本尊とされ、のちに寺号を神童教護国寺と改められました。このように山岳信仰は、この地域に広められ、神童寺は、修験者にとっての要となりました。
平安時代末期(1177−1181)、この地域の多くの建物が兵火により破壊され、神童寺も廃寺してしまいました。しかし、1406年本尊、蔵王権現が祀られている蔵王堂が再建され、現在の本堂として残されています。
明治時代(1868-1912)に日本は工業化された時、日本政府は仏教と神道の分離令を発し、二つの信仰が習合した修験道を廃止しました。第二次世界大戦後、1947年施行の日本国憲法により、宗教の自由が認められ、修験道の信者は、再び修行の自由を手にしました。
神童寺は、多くの重要文化財があります。1406年に再建された本堂をはじめ、収蔵庫に安置されている多数の仏像などです。この収納庫は、展示されている多くの崇敬する像により、まるで平安時代(794–1185)の美術館のようです。本堂の裏手の「護摩焚き」所を通り抜け、収納庫に入ります。そして「愛染明王坐像」「不動明王像」「阿弥陀如来坐像」「日光・月光菩薩立像」などの像を眺めてみてください。
全山焼失の後、神童寺の本尊、蔵王権現が祀られているお堂は、1406年に再建されました。この以前は「蔵王堂」と呼ばれていたお堂は、現在は、本堂となっており、国の重要文化財に指定されています。
本堂には、本尊である蔵王権現が祀られています。蔵王権現は、日本独自の山獄仏教である修験道の本尊です。激しい表情を持ち、人々を導き守る「不動明王」と容姿は似ていますが、右手と右足をあげているか否かで判断することができます。神童寺で制作された最初の蔵王権現は、修行と密教の修験道(厳しい修行を通して悟りを開く日本山獄仏教)の創始者である役小角が、神童寺を訪ねた時に造ったと考えられています。現在の蔵王権現は、室町時代の作品です。
神童寺の蔵王権現は、大きくとても珍しいものです。神童寺は、敬虔な瞑想と厳しい修行の場であったため、厳しい自制を持った仏様を本尊として求め、蔵王権現を祀ったと考えられています。
神童寺本堂の裏にある収蔵庫には、平安時代(794-1185)の仏像が数点あります。国の重要文化財に指定されている仏像をいくつかを紹介します。
「愛染明王」は、世俗的な欲望を精神的な悟りに変える仏様として広く知られています。愛染明王は、多くが様々の真紅で描かれ、愛にまつわる仏様とされています。恋愛の仏様として、弓と矢を携えていることも多くあります。神童寺の「愛染明王坐像」は、「天弓愛染」と呼ばれています。とても珍しいもので、天に向かって矢を射る姿をしています。このような姿の重要文化財の愛染明王は日本に4体しかありません。高さが64.5cmあり木造です。
不動明王は、信者を守り激しく慈悲深い愛を持って導く「明王」です。神童寺の像は、「波切白不動尊」と呼ばれ、子どものような姿をしており、波立つような服装と螺髪で小さな牙が見られます。このような像は日本に4体しかありません。その中でも、白色はとても珍しくこの一体のみです。高さは162.1cmあり木造です。
西方極楽浄土の阿弥陀如来は、死者を極楽浄土へ導く仏様です。ここの阿弥陀如来は、高さが137cmあり木造です。また、世界遺産である平等院にある阿弥陀如来像を真似て造られたと考えられています。
この2つの仏像は、日光と月光を表す菩薩像です。通常、病を癒してくれる仏様、薬師如来の脇侍としての仏様ですが、神童寺の菩薩像は、現在移されて二像だけがここにあります。通常、日光菩薩が左手、月光菩薩が右手を上げているのですが、ここでは2体とも左手を上げています。
JR奈良線棚倉駅より徒歩約30分。/JR学研都市線(片町線)祝園駅・近鉄奈良線新祝園駅よりタクシー約15分。
神童寺は、閑静な街にある小さな寺院です。ここは、山岳仏教が栄えた地で、神道と仏教の両方の信仰を合せ持つ山岳信仰であり、修験者集団の勢力と影響力が長く続きました。平安時代(794-1185)には、ここが信仰の聖地であったといわれています。本堂は、国の重要文化財であり、裏手の収蔵庫にも、重要文化財である仏像が多数安置されています。神童寺の境内は、四季を通じて美しく、毎年、9月の第2日曜日に、修行者が熱い木炭の上を歩く神童寺最大の行事、護摩焚きの儀式が行われます。
歴史
神童寺の起源については、いろいろな説があり、正確な詳細については不明です。しかし神童寺は、594年から622年の間、日本を統治した、有名な聖徳太子(574-622)によって創建されたと考えられています。聖徳太子はまた初めて、仏教の教えを取り入れた憲法を制定し、仏教を強く支え広めようと努力しました。そして、それらの功績が讃えられ死後に、聖徳太子という名称が贈られました。
675年、神童寺伝説によると、山岳信仰、修験道の開祖とされる役小角が神童寺を訪ね、修行を続けたといわれています。このとき2人の子どもの姿をした神童が役小角の前に現れました。役小角は、その神童に敬意を持ち、日本独自の山岳信仰、修験道の本尊である「蔵王権現」を刻みました。神童寺の本尊とされ、のちに寺号を神童教護国寺と改められました。このように山岳信仰は、この地域に広められ、神童寺は、修験者にとっての要となりました。
平安時代末期(1177−1181)、この地域の多くの建物が兵火により破壊され、神童寺も廃寺してしまいました。しかし、1406年本尊、蔵王権現が祀られている蔵王堂が再建され、現在の本堂として残されています。
明治時代(1868-1912)に日本は工業化された時、日本政府は仏教と神道の分離令を発し、二つの信仰が習合した修験道を廃止しました。第二次世界大戦後、1947年施行の日本国憲法により、宗教の自由が認められ、修験道の信者は、再び修行の自由を手にしました。
宝物と芸術品
神童寺は、多くの重要文化財があります。1406年に再建された本堂をはじめ、収蔵庫に安置されている多数の仏像などです。この収納庫は、展示されている多くの崇敬する像により、まるで平安時代(794–1185)の美術館のようです。本堂の裏手の「護摩焚き」所を通り抜け、収納庫に入ります。そして「愛染明王坐像」「不動明王像」「阿弥陀如来坐像」「日光・月光菩薩立像」などの像を眺めてみてください。
神童寺:本堂
全山焼失の後、神童寺の本尊、蔵王権現が祀られているお堂は、1406年に再建されました。この以前は「蔵王堂」と呼ばれていたお堂は、現在は、本堂となっており、国の重要文化財に指定されています。
本堂には、本尊である蔵王権現が祀られています。蔵王権現は、日本独自の山獄仏教である修験道の本尊です。激しい表情を持ち、人々を導き守る「不動明王」と容姿は似ていますが、右手と右足をあげているか否かで判断することができます。神童寺で制作された最初の蔵王権現は、修行と密教の修験道(厳しい修行を通して悟りを開く日本山獄仏教)の創始者である役小角が、神童寺を訪ねた時に造ったと考えられています。現在の蔵王権現は、室町時代の作品です。
神童寺の蔵王権現は、大きくとても珍しいものです。神童寺は、敬虔な瞑想と厳しい修行の場であったため、厳しい自制を持った仏様を本尊として求め、蔵王権現を祀ったと考えられています。
神童寺:重要文化財
神童寺本堂の裏にある収蔵庫には、平安時代(794-1185)の仏像が数点あります。国の重要文化財に指定されている仏像をいくつかを紹介します。
愛染明王坐像
「愛染明王」は、世俗的な欲望を精神的な悟りに変える仏様として広く知られています。愛染明王は、多くが様々の真紅で描かれ、愛にまつわる仏様とされています。恋愛の仏様として、弓と矢を携えていることも多くあります。神童寺の「愛染明王坐像」は、「天弓愛染」と呼ばれています。とても珍しいもので、天に向かって矢を射る姿をしています。このような姿の重要文化財の愛染明王は日本に4体しかありません。高さが64.5cmあり木造です。
不動明王立像
不動明王は、信者を守り激しく慈悲深い愛を持って導く「明王」です。神童寺の像は、「波切白不動尊」と呼ばれ、子どものような姿をしており、波立つような服装と螺髪で小さな牙が見られます。このような像は日本に4体しかありません。その中でも、白色はとても珍しくこの一体のみです。高さは162.1cmあり木造です。
阿弥陀如来坐像
西方極楽浄土の阿弥陀如来は、死者を極楽浄土へ導く仏様です。ここの阿弥陀如来は、高さが137cmあり木造です。また、世界遺産である平等院にある阿弥陀如来像を真似て造られたと考えられています。
「日光・月光菩薩立像」
この2つの仏像は、日光と月光を表す菩薩像です。通常、病を癒してくれる仏様、薬師如来の脇侍としての仏様ですが、神童寺の菩薩像は、現在移されて二像だけがここにあります。通常、日光菩薩が左手、月光菩薩が右手を上げているのですが、ここでは2体とも左手を上げています。